2006/08/12

8月12日の日記。

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・団地最後の今朝の自炊メシ:なんでもトウフカレー



明日の午後にはクロネコヤマトが引越しの荷物を取りに来るので、それでもまだ部屋の中は全然スーパーおいどん状態なもんだから、本来ブログなんてUPしてる時間なんか無いんですが、自分にとっては一応節目でもあるんで、無理しても書いておこうと思います。


今日は朝からずーっと、ほとんど一日中冷蔵庫の掃除をしていました。
あさってから住む部屋じゃ今ウチにある冷蔵庫は大き過ぎて置けなくて、まだまだ充分使えるのに捨てんのもったいねえなぁ~と思っておりましたらば、有り難いことに「引き取ってあげますよ」と連絡をくれた方がおられまして。

いくら使い古しを承知されてるとは言え、さすがに汚ったないまま送るのは、この私でも気が引けるってもんです。
なんせずーっと一人だったもんですから、冷蔵庫の中身の入れ替えはともかく、キチンとした掃除なんて私が使い出してこの6年間一度もやったことなくてですね。
いやぁ~大変でした。

まぁ一日かけただけあって、なんとか送れる状態にはなったかもです。
それでも男の仕事なんで、実はどーしても汚れが取れなかったトコが数箇所あるのですが、(ネジを外して大掛かりな分解をしないとどうにもならない)
コレは手の器用なダンナさんに磨き上げてもらうということで勘弁してもらいましょう。

え~いきなり私信ですが、

>引き取っていただける方。

連絡してますようにブンブンうなる冷蔵庫ですが、モノはしっかりとしてますんで、そんなに悪いもんじゃないと思います。
ただいきなり使い始めないで、出来れば消毒(笑)してからにして下さいませね。
届いて全然使えなかったらどうしよう???



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明日の晩はこの団地におりますが、あさってからは新しい部屋での生活になります。
ネットの開通は当初の話よりかなり早くなりまして、工事は来週の土曜日です。
なので、ブログは明日から一週間強の夏休みを頂戴いたします。












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私がこの団地に引越してきたのは、中学3年になる春休みの時でしたから、
かれこれ27年も前のことになります。
そんなにも昔のことなのに、引っ越してきた日のことは未だによく憶えています。

その一年以上前から私の両親はすったもんだがありまして、生まれてから中学1年まで住んでた家を出て、中学2年の一年間はかなりデカい家に家族4人で住んでいました。
それでも一度壊れてしまったものはどうしようもなく離婚することになり、私と妹は母に引き取られることになって、慰謝料代わりにこの団地を買ったのです。

その頃の私は、家族がどんどん壊れていったこと・苗字を変えなければならなかったこと(これはかなり恥ずかしいもんだぞ)等々、子供なりにも自分の人生が悪い方へ向かっていき、悲しむ時期はもう通り越して、不幸になった張本人である母親を憎むようにも思っていました。

妹は既に母親と新しい家の下見を終えていましたが、私は引っ越す日が初めてでした。
それまでのデカい家を出て、叔母の運転する車で向かっている途中、

「今日から住む家はマンションだよ」

と母が後ろを向いて私に言うのです。
おお!すげーな。カッコいいぞ!!
マンションだったら引越しも悪くないぞ、と現地到着を楽しみにしつつ、車窓を眺めていると、車は大きな団地の中へ入っていきます。

ん?まさかこんなとこじゃないよな??
このオンボロ団地の先にきっとマンションがあるんだよな??

私の願いは叶わず、車は今住んでいる部屋の下に止まりました。
叔母さんがいたから声は出さなかったものの、

「なにがマンションだバカヤロウ!
どうしてこんなトコに来なけりゃならねえんだよ!
オマエが離婚しなけりゃこんなふうにならなかったのに!」

もう泣き出したい気持ちでした。
「●●ちゃん(私のコト)もお母さん大変なんだから手伝いなさいよ」と叔母さんに言われても、引越しを手伝う気力も無く、そのまま商店街の方へ走って逃げていきました。
まったく困った息子もあったものです(笑)


子供の私からすれば、それまで住んでいた一戸建ての家に比べると、どうしても貧相にしか見えない団地だったワケです。
けれども母にしてみれば、これから二十年ぶりに社会に復帰して、自分一人で二人の子供を育てていくことを考えると、不安ばかりの中でも新しい自分の「家」にきっと希望を持っていたんだと思います。


しかし当時の私はそんなことは考えもせず、
親戚が心配(母が一番思ってたでしょうが)していた不良になることもなく、
中学を卒業して高校生活に入りました。
もうその頃には団地だなんだと考えることは無くなりましたね。
ああ、早く自活して外に住んでみたいとは思ってましたが。


高校2~3年の間は、今思い出しても毎日笑ってたような楽しい2年間でした。
ちなみにこの間、私にもちゃんと彼女がいたんですよ(笑)
ウチにも毎日のように友達が来てまして、団地の下にバイクが並んでましてね。
近所の人からはかなりの不良集団だと思われていたらしいです。

試験前ともなれば勉強なんてしないのに夜な夜なバイクで集まり、試験が終わればウチで飲み会(笑)
あの頃はとにかく量を飲めるヤツが一番エラい、ってことで、日本酒(忘れもしない「男山」)を2升買って、皆で一升瓶のまま回し飲みをしたことがありまして。
そしたら一人が限界を超えてしまって、団地の窓を開けてゲロを吐き始めたんですよ。

んまぁ~私を含む残りのヤツラはヨッパらってることもあって、他人事のように大笑いしてたんですが、夜中の団地中にゲロを吐く声が響き渡っております。
今だったら警察に通報されてんでしょうが、ぐーすか寝てる我々をよそに、私の母さんは次の日仕事だってのに、2時3時まで介抱してやってましてね。
その彼はいつまでもそのことを忘れず、私の母の通夜の時には、嫁と娘とお母さんまで一家総出で来てくれました。



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こんな団地なんか出たい出たいとずっと思っているうちに、
妹は結婚して家を出て、この団地を大切にしていた母は死んでしまって、
中抜き期間はあるものの、結局私が一番長く住んでいることになってしまいました。

この歳になっても何もなし得ぬまま、ここを出ていいのか、
って気持ちは強くあるんですよ。
誰にも恩返しもせず、黙って見捨てるように出て行ってしまっていいのかと。

今回、ここを売らないで残しておくのは、そんな気持ちもあるんです。
もちろん理由はそれだけじゃ無いですよ。
これからも一人で生きていく上で、やっぱりお金は大切だし、また何かあってここに戻ってくる日があるかもしれない。

でも一番の理由は、
この団地は例え名義が変わろうとも私の家では無いんです。
いつまでも母親のマンションなのですよ。
私が一人前にもなってもいないのに、勝手に売っ払うワケには行かないってばよ。




あさってからこの団地の部屋には誰もいなくなりますが、
電気・ガス・水道はとりあえずそのまま契約しておくことにしました。
月に一度は帰ってきて、これからはキレイにしておかないとね。


では、
次回は東京都府中市からUPいたしますね。

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