2005/08/20

親不孝者の墓参り。

お盆も過ぎてしまいましたが、母親の墓参りに千葉県まで行ってまいりました。
今日の関東地方はメチャメチャ暑かったもんで、霊園の中はいつもより人は少なげでした。
花を買って、かなり伸びていた雑草をむしって、
一応手を合わせて、少し考え事をしたりして。
願い事や報告事項も特にありませんので、ただ単純に黙々とです。
墓のそばには1時間半ぐらいいたんでしょうか。
かなり日に焼けて、この時間になっても腕がまだ熱いです。


過去に私の母のことは何度か書いてきているので、
いくらなんでもみっともなさ過ぎるのですが
"ブログは自己セラピーでもある"と、ナルホドと頷ける有り難いコメントを頂戴したし、
今朝方コメントに返信してたら気も変わりましたので、
やはり自分用として書いておくことにしました。
なぁにブログなんて皆自分のためにやっているのだから、
同じことを何回書こうが自分の勝手なのです。

��・・と、エラそうに書くほど私は親孝行な息子ではありませんでした。
と言うか孝行息子であったのは、生まれた時から5~6歳になるまでと最後の数ヶ月間だけで、
中抜きされた30年近い年月はきっと他の親子と比べ会話も少なく、
ずっと心配のかけ通しだったのです。


それでも、母が亡くなった後1年くらいは、言葉通り毎日泣き暮らしておりました。
この状態からオレは一体立ち直ることが出来るんだろうか・・・と、
グリーフケアの団体に入ろうかと,当時は真剣に考えたぐらいでした。

けれども仕事が忙しくなるにつれ、
自分にとってはウマい具合に忘れていってくれるものです。
もう亡くなってから4年も経ってしまいましたので、
今の私の生活の中ではほとんど思い出すことはありません。
いまだに送られてくるダイレクトメールぐらいでしょうかね。


一周忌は叔母らにも手伝ってもらって一応行いました。
けど親不孝な私は三回忌をやっていないのです。
親戚の集まりにもその後顔を出していません。
老人達の中に長時間一人でいるのは苦痛であるし、
「○○ちゃんもいい加減そろそろ・・・」と
毎度の如く話しが出るのに嫌気がさしてしまったのです。


ハセガワで買った一番小さな仏壇に、ヨーカ堂で買う500円の花束を
最初は毎週欠かさずあげていたのですが、
��年前の単身単身赴任生活になってからはどうにもならず、結局ズルズルとやめてしまいました。
そんな中でもベランダ園芸だけは4年間ずっと続けてきたのですが、
遂に今年枯らしてしまいました。
母が自分でペンキを買ってきて、壁天井とも白く塗られたこの団地の部屋も、
悲惨なことに常時おいどん状態です。
もし母が生きていれば、きっと嘆いていたに違いありません。


そんな私でも年に数回、母が夢に出てくることがあります。
シチュエーションはいっつも同じ。
まだ病気ではあるものの、なぜか余命が2~3年延びたことになっており、
病室ではなく自宅のソファで、横になりながらテレビを見てニコニコしています。
私もそばにいるのですが、生前同様特に何の会話もしていません。
ただいるだけ。

そこで私はいつも同じことを考えるのです。


「あれ~おかしいなぁ・・・何でまだ生きているんだろう・・・」
「今までは毎回毎回夢だったけど、今回ばかりは本物だよなぁ・・・」
「○○先生には何て言えば信じてくれるんだろう。驚くだろうなぁ・・・」
「会社はどうすべえか。こんなんなったら会社どころじゃないよなぁ」
「でも安心したよ・・・まだ生きててくれて本当に良かったよ・・・」


ここでいつも目が覚めます。
あれあれ?夢じゃないよな?今回は本物だよな?あっちの部屋にいるんだよな?

いるワケないですよね。
気持ちがいいからもう一度夢に戻りたいと思うのですが、
そんなことしたら遅刻してしまいます(笑)
なのでここからの続きがどうなるのか・・・気になりますが、知りようもありません。


"夢"って、その時の心の現れ、みたいなこと言いますよね。
はて、私の夢に母が出てくるのは一体なぜなんでしょう?


私思うに-

多分ですが・・・母が夢に登場してくる時は、
自分の心が弱くなっている時じゃないかと思うのです。
無意識のうちに、私は母に助けを求めているんだろうと思うのです。


まったく、いくつになってもしょーもない息子があったものです。
あああ、まずは部屋を復元(笑)することから始めないと・・・



次回の墓参りはきっと毎年のサイクル通りに正月でしょう。
いいかげん坊さんを呼んで卒塔婆を作り直さないと、バチが当たってしまいますね。
いくらぐらいかかるんだろう?